献花

2011年8月8日 日常 コメント (2)
8月4日、松田直樹選手逝去。

2日の夜、倒れたというニュース。
病名‥急性心筋梗塞。
私の父は、心筋梗塞で何度か入院している。
「これがぎゅっと来たら終わりだった」
16年前に救急搬送されたとき、病院でそう言われたそうだ。
父は、以来たびたび検査しているので、発見したらすぐ治療できている。

マツは「ぎゅっと」来てしまったのだ、そう思った。
容態がどんな状況か想像できた。

でも、助かって欲しかった。
回復を祈る声は、これだけ集まればマツに聞こえるんじゃないかと思った。
老若男女に愛された選手だった。

私は、マリノスのファンでもないし、山雅のファンでもない。
だけど、歴代で一番好きな代表チーム、シドニー五輪のメンバーだった。
2002年日韓W杯も。大事な「フラット3」の一員。

観戦に行っても、全盛期のマツは
180センチ超の恵まれた体格もあって、ピッチ上で充分な存在感だった。
やんちゃな笑顔にのぞく八重歯は、女性ファンを増やした。

34歳で、まさか。

4日昼過ぎ、逝去のネット記事を見る。
私は、思わず社外の風に当たったほどショックだった。
他チームを見に行く私でさえ、そのくらい。
マリサポは、山雅のサポーターは、
何より一緒にボールを蹴ってきた仲間たちは・・・

今回、喪主となってしまったマツのお母さんは
ご主人に先立たれ、最愛の息子にまで見送ることになってしまった。
悲しみは、計り知れない。

親族・知り合いなど、日常関わりがあったひと以外の死で
「ご冥福をお祈りします」という言葉が、飲み込めない事態は
はじめてのことだった。

それで私は、横浜に献花に行くことにした。

マリノスタウン近くの花屋は、
事情がわかっているので、みな好意的。
「みなさん、1500円~2000円くらいです。
入れたいお色はありますか?ラッピングにご希望は?」
20分待ちで、献花用に作ってもらった。

マリノスタウンは、もちろん初めて行った。
背番号3のユニフォームを着たひとがたくさんいた。
貼られた写真のすべてが、松田直樹だった。
出てくるひとの多くが、目を腫らしていた。

献花台まで、一時間並んだ。
直前まで、なるべく違う話をした。
後ろに並ぶ若い女の子の二人組は、ずっと泣いていた。

ようやく献花台の前に番がまわってきた。

ありがとう。お疲れさま。

それで精一杯だった。
マリノスタウンの芝生を眺めて、心を落ち着かせてから帰った。

退場王で、上がったら上がりっぱで、
暴言を集音マイクに拾われて、サッカーが大好きだったマツ。
少し休んだら、またあちらでもサッカーしてください。




コメント

ぜ・まりあ
2011年8月9日3:08

お久しぶりです。
大震災で大変な日々だったようですが、無事でほんと何よりです。

松田直樹、天国へ。
ファンでも何でもないですが、ショックでした。
会社の先輩が37歳で急死された時と、同じくらいに。

全力で駆け抜けた人生だとは思うけど…。
やっぱり、若くして旅立つのは、悲しすぎます。

悔いなきように日々過ごしたいものですね。


松田、天国でも無謀な上がりしてるのかなあ。




藍
2011年8月11日21:08

ぜ・まりあさま
お久しぶりです!コメントありがとうございます!

わたしも、特別にファンだったわけではないですが
やはり若すぎる旅立ちは堪えました。
37歳の先輩の別れもきついですね…
やり残したことがあったんじゃないか、
松田も、どこかで何かが違っていたら
今もボールを蹴れていたんじゃないかと思ってしまいます。

震災から5ヶ月ですね。
藍

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索